『必読』ダイジェスト 8月10日、長江商学院で経済学の教授を務める李偉氏は、ウィーチャット(WeChat)パブリックアカウント「偉観」で『BYDの企業家精神から中国経済を見る』と題する記事を発表し、BYDの成功経験について深い分析を行った。『必読』ではその内容を抄訳して以下にお届けする。

BYDの発展史から見ると、王伝福氏は大まかな戦略において全体的に成功を収めたと言える。BYDはいくつもの大きな発展のチャンスをつかみ、小さな企業から大手企業へと徐々に成長してきた。具体的に言えば、BYDの発展過程において、王氏は少なくとも3回のチャンスをつかんだ。

1つ目のチャンスは、1995年に王氏がニッケルカドミウム電池で世界最大手への道を切り開けるということを偶然知ったことだ。日本が「環境面での配慮からニッケルカドミウム電池の生産ラインを国内に置かない」ということを発表したとき、王氏はすぐにニッケルカドミウム電池の生産基地こそ国際的な大舞台に躍り出る足がかりになり、今後業界全体が再編されることになると気づいた。王氏は速やかにニッケルカドミウム電池市場に参入、その後の発展は確かに王氏の狙いどおりとなった。BYDはわずか3年足らずでニッケルカドミウム電池の世界シェアの40%を占め、業界最大手にのし上がった。

2つ目のチャンスはというと、王氏が初戦で勝利を収めた後も、ニッケルカドミウム電池による汚染の問題は依然として解決されなかったが、ほどなくしてリチウム電池が頭角を現してきたときに訪れた。リチウム電池は1990年にソニーが初めて開発に成功した。同電池はニッケルや鉛、水銀などの重金属を含まず、環境にやさしいため、速やかに様々な電子装置、特に携帯電話やノートパソコン、デジタル機器などの製品に幅広く使用されるようになった。言い換えると、リチウム電池は今後の発展トレンドを代表するものになったということだ。

90年代初め、三洋電機やソニー、東芝、パナソニックなどの日本企業が世界のリチウム電池市場の約90%を占めていた。これより前のニッケルカドミウム電池とは異なり、リチウム電池は日本企業の重要な商品であり、日本企業は生産の計画を放棄することはなかった。それゆえ、BYDがリチウム電池を生産するためには、日本企業との戦いが必至となった。

王氏がリチウム電池に対して着手したのは、研究、分解、改造そしてイノベーションであり、独自の方法で自社にふさわしい半自動化生産ラインを組み立て、可能な限り機械ではなく手作業を採用し、治具(治具とは、機械製造の過程で加工する製品を固定するための器具であり、これによって正確な位置を確保することができ、施工や検査で用いられる装置)を補助的に用いて部品を固定することで、精度を上げ、品質を保証した。このような取り組みの下、BYDは本来非常に高くつく事前の固定資産投入(当時は、全自動化装置や全乾燥の設備を備えたリチウム電池作業場を設ける際の見積価格が十数億元だった)を節約できただけではなく、BYDはリチウム電池の価格を競合他社より40%抑えることができた。しかも品質は同レベルだった。つまり同社のリチウム電池のコストパフォーマンスが非常に優れていたということだ。当時は1997年のアジア通貨危機に見舞われていた頃であり、川下メーカーや消費者にとってコスト削減は商品を検討する際の重要な要素であったため、同社のリチウム電池は速やかに市場を切り開いてくことになった。

最後の3つ目のチャンスは、王伝福氏が自動車製造を始めたことだ。王氏が大学院生だった時に大学で研究していたのが電池であったため、電池生産を思い通りに展開できたのは不思議なことではなかった。電池分野で一連の勝利を収めた後、続いて王氏は誰もが驚くような行動に出た。王氏は事業を電池から自動車製造にシフトしたのだ。このシフトの幅はかなり大きなもので、社内外で多くの者がこの決定に対して反対の立場を示し、支持した者の方が少なかった。しかし、当時王氏は市場の自動車価格が高すぎると感じていたため、これまでの電池製造の経験を自動車製造に生かすことで、コストパフォーマンスが高い自動車を製造できるのではないかと考えた。より重要なこととして、当時、電動自動車を製造するという考えを王氏はすでに抱いていた。そして電動自動車の製造にはBYDがこれまで培ってきた電池製造分野の専門技術を組み合わせることができる。王氏は一連の紆余曲折も経験したものの、最終的に巨大な成功を収め、全世界からの注目を浴びた。

このような3つの大きなチャンスを王氏はすべてものにしてきた。特に3つ目のチャンスでは、王氏はほぼ手探りの状態で自動車の製造に身をささげた。このような戦略の指導の下で、BYDは徐々に電池企業から新エネルギー自動車分野のリーディングカンパニーへと変貌を遂げ、自動車製造の新時代を牽引した。

BYDの発展史から、BYDが電池および自動車の両分野で「攪乱者」の役割を演じたことがはっきりと分かる。元々市場がもはや成熟しており、業界大手が比較的に安定した市場シェアを占め、企業は何もしなくても儲かる状態だったところに、BYDが乗り込んできたことで業界の誰もが落ち着きを失うことになった。これこそが典型的な「創造的破壊」であろう。

「創造的破壊」に含まれる意味は、まさにその字面が示すとおり明快なものであり、一つは従来の市場の勢力構造などの古い要素を破壊することを意味し、もう一つは、各種の新しい要素を形成し、既存のバランスから新たなバランスへ移行させ、経済効率をこの過程において向上させることを指す。原理の角度から言えば、企業家精神が意味するところは、まさにこのような「創造的破壊」に携わる企業家のIQとEQの総和と言える。

具体的には、王伝福氏の企業家精神はどのように表れているのだろうか?少なくとも以下の4つの方面に王氏の企業家精神が表れていたと言える。

その一、鋭い嗅覚。

電池と自動車製造分野における王伝福氏の成功史を見ると、王氏は技術畑出身であるにもかかわらず、並外れて研ぎ澄まされたビジネス的な嗅覚を持っていたことが分かる。日本がニッケルカドミウム電池の生産を停止するというニュースを聞いて、王氏はすぐに中国がその業務を引き継ぐことになることに気づき、その過程で「最初の大金」を手にした。リチウム電池が次第に業界の新たな寵児になろうとしていた頃、王氏はさらに自身の手でコストパフォーマンスのより高い製品を作り出せると考え、競合他社を打ち負かした。そして新エネルギー自動車がまだ形にもなっていない時期に、王氏はそれが今後の発展の方向性になり、中国はこの分野で自動車業界の国際最大手を追い抜くことができると考え、それを自身の長期的な発展目標に据えて着手し始めた。このような鋭いビジネスの嗅覚や人の一歩先を行く戦略と経営意識こそ、BYD発展の要と言えるのではないか?

その二、チャレンジ精神。

ビジネス的な嗅覚は重要だが、どんなビジネスの嗅覚も最初の頃は漠然としたものであり、企業家はその中の全ての詳細な点を理解したくてもできない。しかし、それら詳細な点の中には企業の生死を左右するほど重要なものもある。このような局面において、企業家は考えようとするだけでなく、実行することも求められる。

理解すべき点として、先駆者の大半は最終的には「烈士」となり、生き残った者が成果の大部分を獲得する。生死を決するような選択に直面した時に、敢えてチャレンジできるかどうかが企業家の素質を見定める基本的な判断基準になる。この面において王伝福氏のパフォーマンスはずば抜けており、自身が挑む分野に君臨する国際最大手が、競争において巨大な優位性を持っていても王氏は決してひるまず、積極的に分析をして策を練り、速やかに事業に打ち込んだ。このような「明知山有虎偏向虎山行(リスクを覚悟で果敢に挑む)」チャレンジ精神は、小さな富で満足するような平凡な経営者は持ち合わせてはいないものだ。

その三、現実的なスタイル。

企業家の理想に比べれば、企業のリソースがいつでも不十分であるにことだが、自身の手の中にあるカードをいかに活用すれば最高の成績を上げられるかという点は、企業家精神が試される一つの重要な基準であり、この方面で突出した例は王伝福氏が電池の製造において手作業を採用したことだ。

日本企業はリチウム電池を製造する過程において、早い段階で生産ラインの自動化を実現していたが、自動化には2つの利点がある。1つは人員を削減できることであり、もう1つは、製品の品質を安定させられることだ。日本企業のやり方に倣っていたとしたら、王氏は他人の土俵に乗ることになるが、他人の土俵で勝利を収めることなどできるのだろうか?

日本が自動化製造を選択した大きな要因は、自国の人件費が非常に高いからであり、それゆえ人員の代わりに機械を使用することは非常に理にかなった選択だった。しかし、当時の中国は日本と状況が違った。1990年代、中国国内の人件費は非常に安かったため、実践を通じて王伝福氏は機械ではなく人員を配置するほうが、生産コストがさらに低くなることに気づいた。しかし、人員による手作業に存在する問題は、品質が機械で製造された製品ほど安定しないことだが、この問題が王氏を困らせることはなかった。この問題を克服するべく、治具が登場した。治具は専門的な生産用器具で、具体的な使用法に関する詳細は省略するが、治具のおかげでBYDの製品の品質が非常に安定し、かなりの程度において日本企業の製品の品質に並ぶことができた。機械の代わりに手作業と治具を採用したことにより、BYDのリチウム電池はかなり良いコストパフォーマンスを誇るようになり、コストパフォーマンスは同社がリチウム電池市場に切り込むための切り札となった。

BYDがリチウム電池で成功を収められたのは、同社がビジネスの基本に立ち返り、これを基にイノベーションを行ったからだと言える。BYDがこの過程で最も高価で一番流行のビジネスモデルを採用せず、むしろ最も適切なビジネスモデルを用いることによってリチウム電池業界の運営ルールを書き換え、自社を業界の主役の地位に押し上げた。

後に自動車製造業界に進出した当初、王伝福氏はこの経験を復刻させ、自動車製造のフローを詳細に分解した。最終組立の工程において、各作業場では治具で自動車のボディを固定し、自動化レベルがかなり高い加圧成形や塗装の作業場であっても、鋼板の供給や組み立ておよび運搬の工程も、その大半は手作業によって仕上げられた。

四つ目は、力強い実行力だ。

この要素は最も簡単に理解できるかもしれない。鋭いビジネス的な嗅覚や果敢にチャレンジする精神、現実的なスタイルはどれも重要だが、企業の運営は遊びではない。力強い実行力がなければ、前述の3つの要素を持ち合わせていてもそれは生きることはなく、全く価値がなくなってしまう。この方面で王伝福氏は他の優秀な企業家と同様、卓越した力を有している。

新エネルギー自動車を例に挙げると、世界の温暖化や汚染削減の大きな流れの下で、新エネルギー自動車は間違いなく未来の発展の希望だが、どうすればコストパフォーマンスの高い新エネルギー自動車を製造できるのかを誰も知らなかった。BYDは他社の模倣から開始したが、業界のリーディングカンパニーへと成長した時に、前方は未知の領域となった。業界における先進的な地位を保つため、BYDは研究と開発に巨額の資金を投じており、より重要な点として、BYDはエリートを効果的に管理する方法を見いだした。ここで強調すべき点は、研究や開発は生産や製造ではなく、科学者やエンジニアで構成されるチームをふさわしく管理することは、生産ラインで働く一群の労働者を管理することよりもずっと難しいということだ。全てのハイテク分野と同様、電動自動車分野でも、人材を掌握し、人材をよく知って、その才能に応じて活用する者が、先手を取ることができる。BYDは研究および開発への投資や適切な奨励システムの運用により大きな成果を上げている。特許の件数に関して、メディアの報道によると、2023年3月時点で、BYDは世界で累計約4万件の特許を申請しており、権利を獲得した特許の件数は約2万8000件に上り、特許の件数において中国の自動車メーカーの中でトップをキープしている。

王伝福氏の企業家精神について一通り述べてきたが、筆者としての私も感嘆せざるを得なかった。中国の自動車メーカーは国有企業から始まり、これらの国有企業の大半は後に外資ブランドと合弁会社を設立、中には様々な外資系自動車メーカーと合弁企業を設立している国有企業もある。我々はかつて市場による技術転換に注意を向けてきたが、その結果はどうだったか?BYDのような発展を成し遂げた国有自動車メーカーなどほかに思い当たらない。この状況は中国人が深く考慮するに値する。

(『日系企業リーダー必読』2023年8月20日記事からダイジェスト)

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