『必読』ダイジェスト 上海金融・法律研究院劉遠挙氏研究員が7月31日にフィナンシャルタイムズ中国語版サイトに掲載された記事は参考価値があり、以下抄訳する。
現在、民営経済の発展を促進し、民営企業の信頼を回復させるということが言われている。民営企業家の信頼を強めてこそ、経済の発展があるのだ。では、直接的な経済政策に加えて、企業家の信頼を高めるにはどうすればよいのか。
イーロン・マスク氏とマーク・ザッカーバーグ氏の「ケンカ」から始めてみるのがいいかもしれない。この2人のSNS上の口論といえば、暴力、侮辱、性的な話題にも及ぶ、品の悪い行為であった。だが、彼らは「子供に悪影響を与える」などと言われたり、悪い見本になっていると非難されたりすることはなく、この2人を「排斥しよう」と呼びかける人もいなかった。
マスク氏の、中国での評判は悪くない。だが、マスク氏が一つの大きな目標のために一生懸命奮闘するような典型的な科学者、企業家のイメージ通りの人物ではないことを、多くの中国人は知らない。2018年にマスク氏はライブ配信中に大麻を吸ったが、インタビューに応じたのはカリフォルニア州で、カリフォルニア州の法律では大麻の医療・娯楽目的の使用は合法であるとはいえ、連邦レベルでは依然として非合法だ。私生活では、マスク氏は3度離婚しているが、電撃婚と電撃離婚を繰り返している。また彼には、9人の子供がおり、うやむやになっているゴシップもあった。中国人の基準からすれば、彼はまったく品のない人物といっていいだろう。だが、マスク氏と同氏の経営する会社も米国国民から「排斥」されることはなく、同氏の会社と政府との契約にも影響はなかった。
マスク氏はそんなふうに思いのままに生きているが、中国の企業家は控えめに過ごしている。最近、政府が「インターネット清朗(クリアランス、すがすがしい、さわやかの意味)」キャンペーンを開始し、「悪意を持って企業、企業家を侵害する虚偽・不正確で、権利を侵害する情報を踏み込んで整理する」としていることは、このような情報が絶対に広範囲に存在することを物語っている。だが、中国の企業家はインターネット上で追いかけられて攻撃されたり、中傷されたりしても、一言も発しない。企業家が自ら提訴し、自分の権利を守るというケースを人々は見たことがない。
数年前はそうではなかった。当時、一部の大手企業の年次総会は、実は企業内の懇親会ではなく、意図的にメディア向けに設定されたものだった。これらの年次総会の内容は、今日の目から見るとかなり「常軌を逸している」ことが多く、日本のAV女優を何度も招待するほどだった。2012年から2016年にかけて、蒼井そら、波多野結衣、龍澤ローラ、上原亜衣らが著名なインターネット企業数社の年次総会に姿を見せていたのである。
当時は普通のことだったが、今や隔世の感を覚えるだけだ。こうした活気のある局面は戻ってくるだろうか。私は難しいと思う。政府が承知するかはさておき、大衆が承知しないからだ。
今日、年次総会に日本のAV女優を招待する企業などどこにもない。考えてみてほしい。雲南省のあるレストランは、パフォーマーが観光客を「からかった」ことで罰金を科された上に閉鎖に追い込まれた。あるブランドのミルクティーカップに抽象的なチャイナドレスの女性がプリントされていたことで大衆に通報された。このご時世にまだAV俳優を呼んで盛り上がろうという会社があれば、間違いなくネット上で炎上する。ネットユーザーは、もはやいかなる「下品さ」も許容できないようだ。
革新(イノベーション)と低俗に何の関係があるのかと言う人もいるかもしれない。革新とは、厳粛で、高尚で、落ち着いた行為ではないのか、という考え方は大衆の想像する革新に合致している。大衆は経済発展を望んでおり、革新を好み、ICチップを好んでいるが、経済発展や革新がどのようにしてやってきたかを理解してはいない。彼らは伝統的な観念の影響を受けて、すべての偉大な革新は道徳的に高尚で、己に打ち勝ち、自ら進んで貢献する人が実験室や職場で苦労して成し遂げてきたのだと思っている。
現代の革新は大企業によく見られるため、人々は任正非と5G、マスクとスターリンク、テスラ、メタバースとザッカーバーグ、ChatGPTを知っているが、これらの革新の背後にいるチーフエンジニア、企業家が基礎的人格によって動かされることが十分にあり得るということは知らない。これらの要素には、自由を渇望し、リスクを好み、欲望に満ち、極端なパラノイア(偏執)で、甚だしきは強欲であることが含まれる。
そのような人々に対して、社会は寛容になり、安定した期待を持たせる必要がある。今は「企業家の期待を安定させる」ということが言われているが、これは決して政策の安定だけを指しているわけではない。社会的な期待は有機体、全息体であり、いわゆる「一滴の水のなかに太陽が見える」だ。鄧小平はその道理を知っていた。
改革開放当初、北京空港の裸婦の壁絵が社会的な論争を巻き起こした。鄧小平もこの絵を見に行って、その場で「なぜ人体を描くことに反対する者がいるのか。これに反対するところなどないだろう」と言った。彼の壁絵見学に同行した李先念は「中国には何でも珍しがる人がいる」と語った。鄧小平は「空港の壁絵はとてもいいと思う。画集を出すべきだし、街中にも書けばさらにいい、大衆がみな見られるように」と語った。ひいては写真を撮って、たくさん刷って外国人に売るべきだとまで言った。
当時、海外では「中国が公共の場の壁に裸婦を登場させたことは、真の意味での改革開放を告げるものだ」と評価された。
その頃の香港の不動産王・霍英東(ヘンリー・フォック)氏は大陸に投資しており、北京に到着するたびに、首都空港のその裸婦の壁絵を見に行くようにしていたという。壁絵が残っていれば、ほっと胸をなでおろし、安心して大陸に投資することができたという。霍英東氏の方法論は、今日に至っても価値のあるものだ。
総じて言えば、中国の現在の社会の雰囲気は80年代初頭よりも緩いことは間違いないが、どこまでも緩いとは限らない。80年代の公式出版物の表紙には美女の胸元を露出させた写真が掲載されていたが、今ではショートムービーに似たようなシーンが登場すると必ずモザイクをつけて胸を隠す。さらに重要なのは、何を緩いと呼ぶかは、経済や企業のニーズ次第だということだ。鄧小平が裸婦の画集を印刷して外国人に売るべきだと言った当時、中国最大の民営企業家は年広九で、ウリ類の種の炒め物を売っていた。彼の会社の雇用者数は最多でも103人だった。そして今、中国の私営企業は、労働者を10万人も雇っている。だから、今必要な緩さも、必然的に当時よりはるかに大きなものとなる。
社会の一部の現象、インターネット上の言説は確かに下品な場合もあるが、下品だからといって「一切封殺すべき」と考えるのは大きな間違いだ。「低俗」な現象に対する不寛容な感情は知らず知らずのうちに感化され、幾重にも重なって推し進められ、社会全体のゆるやかな雰囲気を決定づけ、最終的にはこの社会の革新の可能性と活力を決定づけるものとなる。
具体的な経済政策はさておき、中国が当面、民間企業の信頼を強め、革新を奨励し、民営企業と外資系企業の投資を励ますためには、社会レベルでは緩やかで活発で、さらには派手で平凡なものが必要だ。
(『日系企業リーダー必読』2023年8月5日記事からダイジェスト)
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